『最後の決闘裁判』
~あらすじ~中世のフランスで、騎士カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、夫の旧友であるル・グリ(アダム・ドライヴァー)から暴力を受けたと訴える。事件の目撃者がいない中、無実を主張したル・グリはカルージュと決闘によって決着をつける「決闘裁判」を行うことに。勝者は全てを手にするが、敗者は決闘で助かったとしても死罪となり、マルグリットはもし夫が負ければ自らも偽証の罪で火あぶりになる。(シネマトゥデイ引用)
9/10★★★★★☆☆☆☆以下 レビュー(ネタバレなしです!!) 【作品背景】600年以上前にフランスで行われた、決闘によって決着をつける「決闘裁判」の史実を基に描かれた本作。
「決闘裁判」とは、
「神は正しい者に味方する」「決闘の結果は神の審判」というキリスト教の信仰のもと、証人や証拠が不足している告訴事件を解決するために行われる、当事者間で
真実と生死をかけた決闘で、今の価値観では到底理解出来ない価値観の元で行われていました。
13世紀には禁じられるのですが、本作は禁じられる少し前に行われた最後の決闘裁判を題材にしています。
実際にはエリック・ジェイガーのノンフィクション小説『決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル』を原作にしつつ、
監督を務めるのは、『エイリアン』や『ブレードランナー』、『グラディエーター』、『オデッセイ』などの名匠リドリー・スコット。
SF映画の今に続く在り方を作った1人であり、
細部まで計算し尽くされた異世界を完璧に築く映像センスと、
視点の置き方で物語の見え方をコントロールするのが巧みな監督かなと思っています。
この決闘裁判の中心になるメインキャストとして、マット・デイモン、アダム・ドライヴァー、ジョディ・カマーらが出演する他、ベン・アフレックが重要な役で共演するなど、かなり豪華なキャストにぬっています。
そして、アカデミー脚本賞を受賞した『グッド・ウィル・ハンティング』以来23年ぶりに、幼なじみのマット・デイモンとベン・アフレックが共同脚本を務める点も大注目です。
【感想(ネタバレなし)】めちゃくちゃ面白い、流石リドリー・スコットという手際の良さが前面に出た映画になっていました。本作、構成としては三部構成で描かれます。
マッド・デイモン演じる騎士のカルージュと、彼の親友であったアダム・ドライバー演じるル・グリ、そしてカルージョの妻であるジョディ・カマー演じるマルグリット、
3人の視点から観た「ある事件を巡るそれぞれの事実」を章を分けて描かれます。
同じ時間に起きた出来事を、2時間30分かけて3回続けて見せられるという作りになっている為、それは流石に退屈なのでは?と思ってしまいそうですが、全くもってそんな事はありません。
確かに大枠で観ると、起こっている出来事は同じ、
文字に起こすと同じ事を三回書くような内容になるんですが、細部の出来事や映像の捉え方、言い回しは全く異なります。つまり、同じ出来事の中でも
各キャラクターから観た「真実」の違いが強調されるように、超絶手際良く撮られていて、そこにある
僅かな違いが全体の物語の印象や観る側の感情を大きく振り回す為、スリリングな映画になっているんですよね。具体的には大きく2点の面白さがあって、
一つは、各キャラクターに感じる印象や見え方が、章が変わる事にどんどん変わっていく。そこには共通してずっと胸が苦しくて辛いんですけど、その
辛さのベクトルの変化や、共感と軽蔑を行き来する各キャラクターへの感情の振れ幅が、めちゃくちゃ面白い。もう一つが、キャラクター自身がこの争いに感じてる主題や世界の見え方が違う為、三章それぞれで観る側も異なったテーマの映画に受け取れるってのがめちゃくちゃ面白かったです。
特に三章目の、
ある人物から観た世界ってのが、一章と二章では見えてなかったこの世界の残酷さが前に出てて、本当辛かったですね。
そしてクライマックス決闘。
主には最後の視点を持つ人物に最も共感しつう、各人物に共感と軽蔑の両方の視点を持った上で見ている為、血液が沸騰した。よくよく考えると、本作で扱う「主観の危うさや不完全さ」ってのは、ちょくちょくリドリー・スコットが扱うテーマなのかなと思っていて、例えば全てを理解できない事の怖さを描いた『悪の法則』なんかを連想しました。
また、アクション演出も上手くて、流石リドリー・スコットな重厚感と肉感のあるアクションが、この物語の重さや不条理さを強調していて、めちゃくちゃ良かったですね。
そして
もう一つの魅力が、「決闘裁判の在り方」や「男女の在り方」含めた、価値観の現代とのギャップです。その在り方に、第一章や第二章で誰も疑問を持たないし、観る側も
「そういう価値観の時代ね」なんて観ていたところ、第三幕でのカウンターパンチだったので、衝撃を受けました。この時代の価値観を楽しみつつ、現代にも通ずる「そういう物だよね」に埋もれた問題提起までする。
また凄い傑作をリドリー・スコットが作り出してしまいました。
- 2021/10/27(水) 00:13:57|
- 2021年公開映画
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『DUNE/デューン 砂の惑星』~あらすじ~人類が地球以外の惑星に移り住み宇宙帝国を築いた未来。皇帝の命により、抗老化作用のある秘薬「メランジ」が生産される砂の惑星デューンを統治することになったレト・アトレイデス公爵(オスカー・アイザック)は、妻ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)、息子ポール(ティモシー・シャラメ)と共にデューンに乗り込む。しかし、メランジの採掘権を持つ宿敵ハルコンネン家と皇帝がたくらむ陰謀により、アトレイデス公爵は殺害されてしまう。逃げ延びたポールは原住民フレメンの中に身を隠し、やがて帝国に対して革命を決意する。(シネマトゥデイ引用)
7/10★★★★★☆☆以下 レビュー(ネタバレなしです!!)【作品背景】やってきました『DUNE』。
原作は1965年に発表されたフランク・ハーバートによるSF小説で、壮大な物語と世界観から一世風靡したシリーズです。
この小説の映画化が、なぜ話題になるのかというとその背景にあります。
当時、映像化不可能と言われていた世界観を、1970年代に『エル・トポ』などでカルト的な人気を誇るアレハンドロ・ホドロフスキー監督による映画化の企画が進行します。
彼が練り上げた壮大な構造と、人としての魅力に、新進気鋭のSF画家、アーティスト、特殊効果技師などのクリエーターが集まります。
彼らによって更に練られたプロットや絵コンテが一冊の本に纏められた、撮影に向けて出資してくれるスタジオを説得にまわったのですが、多大な予算と10時間にもわたる上映時間、そしてホドロフスキー監督の型破りな手腕にGOを出すスタジオは現れず頓挫しました。
しかしこの映画の構想は、二つの観点で、後世に大きな大きな影響を与えました。
一つは、DUNEの為に集まって解散したクリエイターが、この作品を通してインスパイアを受けて練り上げた構想を、その後の作品で遺憾無く発揮する事で映画のビジュアルを大きく変えた為です。
その代表例がリドリー・スコットの『エイリアン』で、DUNEの解散で行き場を見失ったクリエイターの多くがこの作品で再集合し、あのビジュアルと世界観を作り上げました。
そしてもう一つが、プロットや絵コンテが一冊の本の存在です。
この本はあらゆるスタジオに残された為、例えばその数年後に映像・デザイン革命を起こした『スターウォーズ』は、この本がら多くのシーンの着想を得たと言われています。
それらの作品や絵コンテ本の存在は、連鎖しながら影響を与え続けている為、ホドロフスキーが練り上げたDUNEは、未完成ながら大きな大きな影響を残したとして、伝説的扱いを受けている訳です。
そんな本作、実はその後に1度、映画化にこぎつけた作品があります。
それが、デヴィッド・リンチによる1984年の『砂の惑星』です。
しかし、この作品は大きなスケールの作品を一本にまとめた為、原作の良さを活かせているとは言えず、一般的には失敗作と言われてしまっていました。
そして2021年、ホドロフスキーの構想から40-50年経った今、『メッセージ』や『ブレードランナー2049』、『ボーダーライン』のドゥニ・ヴィルヌーブ監督によって映画化されるのが本作です。
壮大で抽象的な映像表現と、その抽象性を活かしたストーリーテリングが巧みなドゥニ・ヴィルヌーブ監督が、本作をどのように料理しているのか、非常に楽しみでした。
また、本作は2部構成の前編であり、本作で物語が完結する訳ではありません。
【レビュー、感想(ネタバレなし!)】一つ前にレビューした『007』同様か、それ以上に賛否が割れていますね。
本作の抱えてるミッションって、非常にハードルが高いと思っています。
というのも、公開するはずであったホドロフスキーよDUNEの構想が、プロットやデザインという様々な観点で、今の映画の在り方に大きな影響を与えてしまった為、ブーメランで帰ってきた既視感を超える何かを提供しないと、「ありきたり」という感想になってしまう為です。
また、本作の壮大な物語を映画に落とし込むにあたって、映画の2時間30分という尺の中で、その面白さを表現できるのか?という観点もあります。
そのような観点でどうだったか...
まず、ドゥニ・ヴィルヌーブ的な色彩感を落とした壮大な映像描写とハンス・ジマーによる音響、それらによって演出される世界観は、素晴らしかったです。
そして、そこに主人公の暗示的で抽象的な心象描写が重なる事で、全貌が見えないスケール感のある問題と、パーソナルな問題が並走していきます。
これが作品の良い意味で掴みきれない世界観を作っていて、ドゥニ・ヴィルヌーブの作品だなと思いました。
『メッセージ』に関しても同じ構成で出来ていて、最終的にその抽象的な「マクロ視点」と「ミクロ視点」が化学反応を起こして、全体像をクリアにする鳥肌物の傑作でした。
そういうた意味で、本作は2部構成のうちの序章に過ぎず、掴みきれない世界観の提示という所だけで物語が終始しています。
その世界観に関して、前述したように確かに素晴らしいのですが、ブーメランで帰ってきた既視感を超えるインパクトには至ってないし、2時間半のあいだずっとその要素の強調だけが前に出てくる為、個人的にはクドくて、とっつきにくさだけが過度に残る作品に観じてしまいました。
二部構成なので、二作目を見るとまた評価が変わる可能性はありますが、直ぐに公開されるどころか、まだ製作が決まっている訳でもないそうです。
そういった意味でも、一作だけでも楽しめる映画になっていて欲しかったのですが、「ブーメラン的な既視感」と「壮大な物語に対する映画の尺」という観点から、そのハードルをクリアする事は失敗に終わったと言って良いのかなと思います。
とはいえ、絶賛してる人は絶賛してますし、世界観の提示が素晴らしいって所に否定は出来ないので、是非見て頂いて、色んな意見を聞かせて頂きたいです。
- 2021/10/21(木) 16:47:17|
- 2021年公開映画
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『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』
~あらすじ~諜報(ちょうほう)員の仕事から離れて、リタイア後の生活の場をジャマイカに移した007ことジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は、平穏な毎日を過ごしていた。ある日、旧友のCIAエージェント、フェリックス・ライターが訪ねてくる。彼から誘拐された科学者の救出を頼まれたボンドは、そのミッションを引き受ける。(シネマトゥデイ引用)
7/10★★★★★☆☆以下 レビュー(ネタバレなしです!!)【作品背景】約6年ぶりに帰ってきた「007」!!
英国秘密情報部のエージェント ジェームズ・ボンドを描くシリーズで、1962年の『007/ドクター・ノオ』から始まり、実に本作で25作目になります。
そんな25作の中で、
6代目ジェームズ・ボンドを務めるのがダニエル・クレイグ。
彼がボンドを演じるのは、2006年『カジノ・ロワイヤル』、2008年『慰めの報酬』、2012年『スカイフォール』、2015年『スペクター』に次いで5作目であり、その前とは全くストーリーが繋がらない為、実質この5作品でダニエル・クレイグ版007は閉じていると言って良いと思います。
本作が、そんな
ダニエル・クレイグ版シリーズの最後の作品になっています。
2006年の抜擢当初は、「金髪」「筋肉質で背の低い体型」や「青い目」など、外見的な面でこれまでのボンド像とかけ離れていた為、かなり非難されていたのですが、今ではすっかり定着、そのシリーズが終わりを迎えるのは、かなり感慨深いです...
監督を務めるのが、『ジェーン・エア』やnetflixドラマ『マニアック』などの日系アメリカ人のキャリー・ジョージ・フクナガ。
大抜擢って言って良いですよね。
ただ、この映画制作過程で紆余曲折あって、当初は『トレインスポッティング』や『スラムドッグ&ミリオネア』のダニー・ボイルが監督予定でしたが、制作側と意見が降板し、キャリー・ジョージ・フクナガ監督が登板する事に。
また、それ以外にも呪われていて、撮影中にダニエル・クレイグが大怪我をしたり、スタジオで爆発事故が起こったり、挙げ句の果てにはコロナで公開が延期になったり...
観れるだけ感謝ですね!また、新たな敵役に『ボヘミアン・ラプソディ』のレミ・マレックや、前作に引き続きレア・セドゥ、新たなボンドガール候補にアナ・デ・アルマス、加えてお馴染みのQベン・ウィショー、Mレイフ・ファインズ、更に新たなエージェントとしてラッシャー・リンチらが出演。
ビリー・アイリッシュが主題歌を担当する事でも話題になっています。
【レビュー、感想(ネタバレなし!)】めちゃくちゃ、賛否が割れていますね。個人的には割れる気持ちは分かりつつも...
「良く出来た作品でも無ければ、貶す作品でもなくない?」という感情です。
まず、ダニエル・クレイグ版007を振り返りつつ、本作の感想レビューに入っていきたいと思います。
このシリーズの最大の特徴って何だろうって考えた時に、現代をベースにリセットした時代設定で、そこにマッチしたジェームズ・ボンドを再定義した所にあると思っています。
これまでジェームズ・ボンドは、男性の憧れであり、シンボル的な存在として描かれ、荒唐無稽な敵のキャラクター、アクション、ガジェットや、セクシーシンボルとして利用されるボンドガール女性の扱いが中心にありました。
ダニエル版としては、それらは今の時代で描くにはノイズが多くなってしまう事も踏まえて、シリアスでリアルで身を削りながら戦うアクション、共闘する存在としてのボンドガールの描き方など、
007のコンテンツのキャッチーさを随所に残しながらも現代の価値観にアップデートさせてきました。一作目の『カジノ・ロワイヤル』は、そんな新しい造形と、カジノという舞台の活かし方、哀愁漂うクライマックスの切れ味含め、大傑作で完全に批判を払拭した訳ですが。
そんな中で『ダークナイト』の影響をもろに受け、破壊的想像という観点で行くともまで行き着く哀愁に「ファンタジー的な映像美」が足し合わされた3作目『スカイフォール』は大絶賛の嵐で、このダニエル・クレイグ版が伝説のシリーズになっていった訳です。
そして前作の『スペクター』、ダニエル・クレイグ版で全てに共通して描かれた大ボス的な存在との決着が描かれ、スパイ映画の物語としては一通り結末を迎えます。
そんな中での5作目本作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』
前作で完結していた筈、何故必要だったのか??
このダニエル・クレイグ版007の特徴の一つに、
長年続くシリーズで初めて、作品を跨いでボンドという1人の人生を捉えた構成になっています。そんなシリーズだからこそ、敵対構造ではなくて、
ボンドという人間の生き様を描ききる為に撮られたのが本作で、それが如実に前に出た作りになっています。
賛否両論の中に、物語と閉じ方に批判が集まっている部分もあるのですが、個人的には全然そこは批判ポイントにないです。
ダニエル・クレイグ版ボンドの
「愛と哀愁」といアイデンティティにこの展開はめちゃくちゃハマっていて、シリーズ最高にエモくて号泣しちゃいました。ただし...だからこその批判ポイントがあります。
そんな「ボンドの物語」を描こうとした結果、一つのスパイ映画としてはめちゃくちゃ歪でモヤる所が多々出てしまってるのです。
一番大きいのは、メインの敵キャラでレミ・マレック演じるサフィンの造形にあります。
たしかに彼のお面や、日本の宗教的な本拠地の描かれ方、佇まいの雰囲気なんかはめちゃくちゃ怖いし、何より彼の「武器」の残酷さは、エモさの最大の要因になったりしています。
ただ、ボンドや、レア・セドゥ演じるマドレーヌへの執着は、バックボーン含めかなり伝わってくるのですが、彼のテロ行為への目的がめちゃくちゃ遠くの方にしか見えないんですよね。
彼の不気味さを強調する為って意見があったりもするのですが、ストーリー自体がそのテロ行為をベースの進む為、特にラストの攻防では「結局こいつは何したいの?」って
ボンドが辿る展開を演出する為に都合良く動いてるように見えちゃってるんです。他にも、真エージェントの活かし方(ていうか活かせなさ)や、英国諜報部との関係性も、ボンドのストーリーを演出する為に動いてて、
肝心のスパイ映画のストーリーが、めちゃくちゃボヤけてしまっていたのが残念です。なんですが...じゃあ面白くなかったかと言われると、163分飽きない程度には面白かったんですよね。
案の定ボンドの物語には泣いちゃってるし、アクション映画として見所の多さや作り方の旨さは特出すべきだと思います。
冒頭の、クラクラさせられる長回しアクションも最高ですし、過去作のオマージュ含めて時折クスって笑わされる所も流石です。
また、本作に登場する女性2人の存在感。
レア・セドゥ演じるマドレーヌの、ボンドとの関係性や、彼女のうちに秘めたる強さが垣間見えて最高でした。
そしてアナ・デ・アルマス。彼女のアクションや佇まいが魅力的過ぎる。ただ、彼女のポジションが彼女である必要、存在意義が不透明で、サービスとしての存在になってるのは残念ですね。
後は新たなエージェントのラッシャー・リンチは、彼女があの立ち位置を与えられたのであれば、相応にもっと活きて欲しかった...
そんな感じで、この映画が完全に賛否両論極端に分かれるというのもよく分からないし、モヤモヤする所はあるけど、十二分に楽しめる映画なのではと思っています。
間違いなくシリーズ映画としてマスターピースであるダニエル・クレイグ版007の最後の映画、映画館で観る価値は充分あると思いますので、迷ってる方は是非!
- 2021/10/10(日) 12:00:00|
- 2021年公開映画
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