
~あらすじ~
毎日魚を見つめ、その絵を描き、食べ続けても飽きないほど魚が大好きな小学生の“ミー坊”。わが子が少々変わっていることを父親が心配する一方で、母親は彼を温かく見守り応援している。高校生になっても相変わらず魚に夢中なミー坊は、町の不良とも仲が良く、いつの間にか周囲の人々の中心にいるのだった。やがて、一人暮らしを始めたミー坊(のん)はさまざまな出会いを経験し、自分だけが進むことのできるただ一つの道を突き進んでいく。
(シネマトゥデイ引用)
9/10★★★★★☆☆☆☆
以下 レビュー(ネタバレなしです!!)
【作品背景】
魚類学者でタレントの「さかなクン」が、自身の幼少期や、魚との出会い、友人との出会いを語ったエッセイを元に、彼の「半生」を捉える「伝記映画」の形に仕立てられた本作。
監督を務めるのは、名作『横道世之介』や『子供はわかってあげない』などでお馴染みの、沖田修一監督!
大好きな監督の1人で、酸いも甘いも含んだ日常をコミカルに包んで「にっこり微笑みかける」 唯一無二の空気感のある映画を撮る監督さんです。
本作でも、一面的ではなく、「ドライな事実」を無茶苦茶しっかり捉えてるんだけども、それを含めて愛おしさが支配する、沖田修一監督らしさが全開で、その辺りを後ほど語っていきます。
また本作、注目を集めた点としては、「さかなクン」を、『あまちゃん』や『わたしを食い止めて』の、のん(能年玲奈)が演じている点です。
性別が違う人が演じるというのを、この作品はどう扱っているのか...此方もまた後述します。
また、のん以外にも、柳楽優弥や夏帆、磯村優斗など、実力派の役者さんが脇を固めています。
【感想(ネタバレなし)】
いやー無茶苦茶良かった...
「さかなクン」=「ミー坊」の圧倒的な魚への愛、「好き」を如何にして貫いて、「好き」が如何にして今の立場を気付き上げたのか...それを幼少期からのエピソードを通して追っかけていく映画になっています。
本作、特に学生時代までの前半が顕著なんですけど、非常にコミカルに進んでいくんですが、そのコメディ要素がまずめちゃくちゃ面白い。
ミー坊を中心に、個々の「感性の違い」と、そこに生まれる「勘違い」や「気まずさ」を、一歩引いた客観的な目線から、絶妙な間で切り取る、そんな沖田監督のコメディセンスが至る所に散りばめられていて、ずっとニヤニヤして見てられる、そんな映画になっていました。
ただ、この映画、ずっと違和感があって...
例えば、ただ地方のヤンキーの描き方が、コメディに寄せすぎてる、作品にとって、ミー坊にとって都合良すぎる...
そもそも、「好き」を貫く事が、「成功」につながるって、綺麗事過ぎないか...
「好き」を貫くミー坊の、キャラクター性やアイデンティティが、「成功」に繋がる理由として強引に物語を進めるのかな...と思って見ていると...
まさかまさかのミー坊にとって「都合良すぎる」と表現した、他者に依存する所という要素が、益々立ってきて、そこへどんどん暖かい目線が向けられていく。
つまり、【人を活かすも殺すも人】というメッセージの下で、さかなクン側の視点による、「さかなクンをさかなクンたらしめた」周りの人への感謝のラブレターのような映画になっていました。
そしてさらに凄いのは、それを強調するかの如く、「好きを貫いても成功出来ない人」や、「好きが無くて、何かにしがみつくしかない人」など、万人がさかなクンみたいになれる訳ではないという、めちゃくちゃドライな視点も含まれるんですよね。
ゆえに、「自分を貫く事」を是とする理想の第三者目線の映画ではなくて、それを貫けるかはある意味「運」で、「他者に寄る所」が大きい事をしっかり認めてるのが無茶苦茶伝わるさかなクン目線の映画になってるのが、すげぇ良いなって思ったし、だからこそ心震えました。
また、今回さかなクンを性別が異なる「のん」が演じた点について、物語の中に一つのテーマとして「性別」が描かれ関連づけられるのかな?と思っていたら...
「性別」いう要素が物語の中で全くフォーカスされてません。
つまりこの映画のは更に一つ上のステージに立ってて、「性別の選択に、理由なんて必要ないでしょ?本質が描かれれば別にどっちだって良いでしゃ」という距離感で扱っていて、この距離感がめちゃくちゃ良いなと感じました。
沖田監督の代表作がまた増えました!
オススメです!!

